学級通信より
皆さんの毎日のお弁当、誰が作って下さっているのでしょうか。自分で作っている人もいるかもしれませんね。 わが家では、奥さんが朝の5時の目覚ましで起きて、自分と娘のお弁当を作っています。中2の娘は、少し遠い私立の中学校に電車で通っているので6時30分までに家を出ます。それに間に合うようにお弁当を作らなければなりません。奥さんも自分の仕事がありますから7時前に家を出て行きます。わが家の朝は7時までが勝負です。 (ちなみに僕はお昼を食べないので、お弁当はナシです)
さて、僕の母はこの「お弁当」というものを、僕の小学校から高校までの12年間、たった「1回」を除いて作ったことがありません。前に通信16で書いたように、運動会などにも母は来ませんから、運動会だからと言ってお弁当があるわけではありません。みんなが家族と一緒にお弁当を食べているのをうらやましく思いながら、僕は町のパン屋さんで、マーガリンとグラニュー糖がぬられている食パンと、ウエハースでカステラがはさみ込まれているパンを買って、家から持ってきた三ツ矢サイダーを飲みながら、教室で食べていたものです。
小学校6年生の修学旅行でのことです。修学旅行では1日目の昼食を持ってくるようになっていました。その時ばかりはさすがに担任の「森本先生」が、母に「何とかお弁当を作ってあげて欲しい」と頼んでくれました。母はシブシブ承諾し、僕は生まれて初めての母のお弁当を手に、奈良・京都への修学旅行に出発したのです。
とうとうお昼になりました。僕はワクワクしていました。生まれて初めての母のお弁当です。何が入っているのか、楽しみでしかたがありませんでした。ソーセージは入っているだろうか? 卵焼きはどうだろう? ハンバーグもあるかな? コロッケは? 小さい子どもが宝箱を開けるような気持ちで、僕はお弁当の入っている袋をあけました。
しかし中から出てきたのは・・・
何と「シーチキンの缶詰」がたった一つ、汚れたタッパーに詰め込まれた「ふりかけのかかったご飯」、そして「缶切り」と「フォーク」・・・たったそれだけでした。これを見た時の僕の気持ち・・・皆さんにわかるでしょうか。悔しくて涙がこぼれました。頭の中が真っ白になり、僕は昼食会場の床にそのご飯や缶詰を叩きつけたように思います。あわてて担任の先生や他の先生方が走りよってきて・・・あとはもう僕の記憶の中から消えてしまいました。その後の修学旅行のこともまったく記憶にありません。小学校の修学旅行の記憶はこの「たった1回」の母のお弁当しか残っていないのです。
しかし僕は、このことで母をうらんだり腹を立てたりすることができませんでした。離婚をした母が当時、周囲から想像できないほどの圧力を受け、それを見返すため、また借金を返し、母と子が生きていくために、どれほど仕事に打ち込んでいたかを知っていたからです。それを考えると、このことで母を責める気持ちには僕はどうしてもなれなかったのです。この後、僕はお弁当を必要な時は自分で作るようにしました。それが当たり前だと思い直したからです。
今、中2の娘にも「お弁当をつくってもらうことを当たり前と思ってはいけない。必要ならあなたが自分で作りなさい。そしていつも感謝しなさい。あなたの学校生活はお母さんのおかげで成り立っているのだから。」と言っています。何となくわかってくれているような気もします。皆さんも、ぜひ「ありがとう」の一言をそえてお弁当箱を出して欲しいなと思います。
|
|