3年生より

 もうひとつの学年通信N0.34 2008.2.27(水)2008.2.27
・・・私が中学生時代にあったらよかったなと思うこと・・・
『全員リレー』と『朝の読書』
 「全員リレー」・・・体育祭にはなくてはならない最高の競技だと思います。私の中学生時代には、足が速い人しかリレーの選手にはなれませんでした。他の大勢の人はリレーには出られなかったのです。私はリレーの選手になれるほど足が速いわけではありませんでした。リレーに出られる人が光り輝いて見えて、うらやましかったことを憶えています。
でも教師になって初めて赴任した中学校では、体育祭に全員リレーがありました。たすきを頭に巻いて、バトンを持って、全力で走る中学生の姿にとても感動しました。全員リレーはひとりひとりが自分のもっている力を出しきり、クラスみんなでつくりあげるものです。一人ひとりのがんばりがその結果として現れます。そして、それがクラスのみんなを、そして観ている大勢の人々を感動させます。私は、毎年体育祭でこの全員リレーを観るのが楽しみです。それは結果として最下位であっても変わりありません。
 それから、「朝の読書」・・・たった10分間ですが、その効果は大きいとつくづく思います。第一の効果は、空想の世界で自分が自由に飛び回ることができるということです。よく本が出版され人気が出ると、その作品が映画化されますね。映画はダイレクトに映像で視覚に訴えますが、本にはそれがない分、頭の中でえがく楽しみを与えてくれます。同じ作品でも読む人が違えばまた違った世界がつくられます。そして、本を読むことで自分の可能性を見つけ、改めて自分自身を知ることができるのだと思います。
 第二の効果は、学校生活のスタートが心静かに落ち着いた形でスタートできるということです。朝練でふき出る汗を拭きながらでも、遅刻しそうになって駆け込み息を切らしながらでも、まずこの時間があることで落ち着いて授業へ移ることができます。
朝の読書が全国的に広まったのはこんな効果があるからでしょう。文字を追っているみなさんの姿を見て、私の中学生時代にもこんな時間があったらよかったなあと思います。

『お弁当の時間』
 もうずいぶん前のこと、お弁当の時間のことを書きます。私が担任した1年生のクラスのある班の光景です。その班では、いつのまにか始まっていたのですが、毎日誰かがデザートを持ってきていました。それも自分を含めた班員の人数分です。5人班で、今日はA君がりんごを5切れ、次の日はBさんがぶどうを5粒、毎日それが自然に続いていました。だれからともなく、その班ではそんなことが始まったようです。A君はお母さんに「りんごは5切れ入れといてね」と言っていたのでしょう。そんな光景は今では残念ながら見ることができません。みんなで仲良く食べられるお弁当の時間、毎日の学校生活のふっと息の抜ける時間、みんなの心が通う時間です。残された卒業までの日々、班で仲良くお弁当を食べてください。
たまたま昨日のお昼に私が食事をした班で、串カツとウインナをお互いに交換している男子がいました。ほほえましい光景でした。
     
      『人間のねうち』
「人間のねうちは、その人が亡くなったときに、どれだけたくさんの人が涙を流してくれるかで決まる。」と、聞いたことがあります。ということは生きている間にはわからないわけですが。どれだけ多くの人に貢献したか(どれだけ多くの人を思いやることができたか、どれだけ多くの人を助けることができたか、どれだけ多くの人に信頼されたか、・・・・・)で決まるのでしょう。

 もうひとつの学年通信 No.33 2008.2.26(火)2008.2.26
●● 若者たちは全力で生きている - C ●●

もはや子どもではなく,未だ大人には遠い
出願事務              
 入学願書は,私たち学年担当が授業に影響のないように分担して出しに行く。
2月1日(金)の午後,わたしは鈴鹿工業高等専門学校に向かっていた。日差しに早くも傾きがある。その分,風景が輝く。元大東紡前をまっすぐに伸びる道に入った。長い歩道を水色や黄緑,ピンクやオレンジなどで彩る子供たちが目に飛び込んできた。色とりどりの防寒具に身を固め,思い思いのリズムで家路につく旭丘小学校の子供たちだ。
 明らかに6年生と思われる長身の生徒もいる。その子たちの肩のあたりには,押し上げられたかのようにランドセルが乗っかっている。明らかにバランスを欠くその姿は,自分たちがもはや小学校に納まらない存在であることを主張している。

昼食指導 
 「鈴鹿高専の出願に出かけたころだから,あれから3ローテしたのか」とぼんやり考えながら,眼前の食事風景をながめていた。入学以来,学年担当でローテーションし,1組から6組まで昼食指導をしてきた。T先生のように決席者の机で生徒とともに食べる教師もいるが,ほとんどどの教師は教卓で食べているようだ。
 「生活班に混ざり,生徒たちと心を通わせながら食事をともにするのが本当の食事指導なのだろうか」と思いながら,私も教卓で食べている。生徒の様子を見たり感じたりしながらも,中断した仕事,これからの授業,放課後の仕事が気になって,毎回箸(はし)の動きが忙(せわ)しなくなるのである。胃によくない。
 「ん?」。私の目は,今回もその班に向いた。

生活班「男性と女性」                            
しゃべる。女性2人は間断なくしゃべり続ける。笑う。手を口にあてながら,ほんとうによく笑う。あれで食事ができることが不思議でもある。1人欠席の4人班の2人は,
K君とS君。静かに応じるか,何ごともないかのようにひっそりと食べるかのどちらかだ。この日は,女性たちへの会話や笑い合いへの対応が前々回よりもみられた。班の意識であるとか人間の関係は,昼食の状況に隠しようもなく現れる。仲間づくりの成否が確認できる。それからすると,机もまあくっついているし,それなりの班ということか。それにしても,男性と女性はちがうなあ。
生活班による係活動や清掃,そして点検活動などをみると,一般的に女性がきちんと活動できる。男子は,「する⇔しない」にばらつくことがよくある。さらに,ノートのとり方や授業の様子,また身辺整理のちがいもあってか,教師たちも心配なことや出来事の確認をするとき,女子生徒を頼りにすることが多い。が,実社会はというと,いつの間にやら中学校のような状況に「ねじれ」が仕組まれ「男性優遇社会」になっているようだ。おっかしいよなあ。

女性差別
 男性と女性の才能に差はない。アメリカの女性物理学者は5次元を説き,時代をリードする。アインシュタインの偉業の陰には,妻の大きな仕事があったらしい。少し前の英国首相サッチャー女史は,「鉄の女」といわれるほどの指導力を発揮した。
 しかし,これまでの歴史に残る女性の数は,不自然なほど男性より少ない。本来,男性と同じ力をもつ女性が歴史の中に埋もれてしまうのは,女性差別の産物にほかならない。女性は子育てを理由に「家庭という名の社会の最小単位」に封じられ,男性社会の踏み台にされてきた。社会での立ち位置の根拠として性差が使われている。この「人が歩む道に刻まれた脱け出し難い負の轍(わだち)」は,これからも未来に向かい伸び続けるのだろうか。

コルヴィッツ                                  美術の歴史に名を残す女性造形家の話をしよう。ケーテ・コルヴィッツのことは,
版画ゼミナールで知った。作品によっては形がもつ丸っこさが気になるものの,デッサンや表現が人間コルヴィッツの魅力を物語っている。まったく関係ないのに,原爆の絵を描かれた丸木さんご夫婦のことも脳裡(のうり)に浮かんだ。
ひと目で好きになった。どんな時代に生きてもヒューマニストであるだろうと思った。美術教師になり資料集の中に彼女の作品を見つけたとき,「生徒に紹介できるぞ」と,心からうれしく思った。

再度,コルヴィッツから          右の作品は
ケーテ・コルヴィッツのデッサンだ。幼子の眼は,これ以上ないほど大きく丸く見開かれている。いったい何が映っているのだろう。 私はこの作品を見る度,大戦時の子どもたち,「ソンミ村」の悲劇,厳しい現実に生きる「戦争しか知らない子どもたち」
などを想起する。 背後の女性は母か祖母か。下りたまぶたに絶望を隠した大人の眼には,少女への慈愛が満ちている。

保育実習      
 2年生の保育実習の引率をした。3歳から5歳の園児たちを青いジャージの2年生たちが保育する。園児たちへの接し方や振る舞いからは,青年の分別を感じる。表情にしても園児たちとはまったくちがう。私は眼に注目した。園児たちの目は丸く,そして,鏡のようだ。2年生の眼は幼子のものからすると,もはや青年のそれである。まぶたを
下ろすことで鏡の役割を減じる分,自我と思慮の光が宿る。彼ら彼女らももはや子どもでもなく,未だ大人には遠い存在なのだ。 実習を終えて西門を入った。黒板を向く4組の生徒が見えた。あれほど成長し青年のようにみえた2年生より一層大きく,落ち着き,そして,立派にみえた。

再度,昼食指導から
 しゃべり笑いながら楽しく食べる女性とひっそりもくもくと食べる男性。彼ら4人を眺めていると,もはや子どもでもなく,未だ大人には遠いという形容しがたい時間に生きる中学生の側面もみえてくる。「笑う彼女」も「遠くを見つめるかのような彼」も,自己実現という遠い地平に一歩を踏み出し,一人歩む自分の影に戸惑っているのだろう。辿(たど)るべき大人の足跡を素直に踏み切れないこともあるのだろう。保護者や教師を拒みながらも理解を求めてきたのだろう。社会を否定しつつも自らの入り口を探る今なのだろう。
ああ,中学生という存在は,メビウスの帯のような矛盾を抱きつつ生きるものなのか!

 写真は今日の午後具志アンデルソン飛雄馬さんの講演会の様子
 具志さんは、ブラジルに移民した日本人の子孫、帰国してからの自身の体験を講演を通じて訴えています。現在、多文化共生NPO世界人理事長として活躍しています。

 もうひとつの学年通信 N0.32 2008.2.25(月)2008.2.25
百里の道も九十九里をもって半ばとす
 昨日は、久しぶりの積雪でしたね。雪が降っていると、「どれくらい積もったかな?」「真っ白な雪だるまがつくれるかな?」なんて思ったりして、心が浮き立ちます。でも、夜になると一転して白い雪がすべての音を吸収してくれて、いつもよりずっと静かな夜更けが訪れます。その静寂が、私はとても好きです。
 とはいえ、卒業式に雪が降ると、ただでさえ底冷えする体育館だからきついな。どうぞ、卒業式は春のにおいのするあたたかな日でありますように・・・
 さて、いよいよ卒業が迫ってきましたね。今週には、人権学習の最後として具志アンデルソン飛雄馬さん(ゲストチィーチャー)による講演会があるし、お世話になった校舎を感謝して磨く奉仕作業、プレ高校入試ともいうべき実力テストがあります。
 そんなみなさんに、今、この言葉をおくります。
 「百里の道も九十九里をもって半ばとす」
 このことわざは、「百里(400q)の道程も、あと残すところ一里(4q)となった九十九里(396q)まで来て、半分まで来たといえる」というものです。つまり、それくらい最後の最後は大事だし、落とし穴も多いということです。
 教室の中を覗いてみましょう。
クラスにはもう進路の決定をした人や内定をもらった人がいます。ひとまず、ほっとしているというのが正直なところでしょう。でも、一方でほとんどの人がこれからの受検にむけて必死に勉強に励んでいます。「もう○○高校、決まっとるでええ!」なんて手をぬいたり、いい加減な雰囲気をただよわせていませんか?
 「親しき仲にも礼儀あり」仲がよいことをかさにきて、心にチクリとささるトゲトゲ言葉を遣っていませんか?まわりの人に心配りができていますか?
今までの努力や絆を最後の最後でだいなしにしてしまうことのないよう、今だからこそ、気をひきしめましょう。
 下の言葉は、「飛び立とう未来信じて」発行が始まったばかりの1月、私立の入試前のみなさんに向けて書いたものです。
あなたは選ばれるにふさわしい人間ですか?
ヘルメットをきちんとつけていますか?
服装は大丈夫ですか?(スカート丈、そでのホック、第1ボタン)
マスターライフは毎日提出していますか?
ベル席は守れていますか?
先生の話に素直に耳を傾けられますか?
まっすぐに人の目を見て話をきけますか?
しゃべらずに静かに待つことができますか?
(今の子は沈黙に弱い。TVのバラエティー番組の影響も大きいと思いますが。プレッシャーをしゃべることでごまかさないで、黙ってひとりで立ち向かうことも必要ですよ。)
 そのときは「あなたは選ばれるにふさわしい人間ですか?」とかきましたが、今度は「あなたはこのまま卒業していいですか?」とかえて、同じことをもう一度問いかけたいと思います。
 授業も残り少なくなってきました。九十九里まできた今だからこそ、いっそう大切にしましょう。はじめのあいさつ、おわりのあいさつ。先生の話をしっかり聞き、発言をし、みんなで最高の授業をつくりあげよう。
 終わりよければすべて良し!
 充実した毎日を!

 写真は2年3組の大縄跳びのひとこま

 もうひとつの学年通信 No.31 2008.2.22(金)2008.2.22
 昨年の今頃、劇場では『どろろ』という映画が公開されていた。原作は、知っている人もいるかもしれないが、手塚治虫さんという漫画家の作品である。
 この物語には、人間の悲哀の数々が描かれ、それでもそこから自分を解放していくための様々なヒントが隠されている。いじめ問題、あらゆる差別問題、環境問題、我々の人間の弱さ、生きることの意味…、意味深い作品である。
 原作を読んだのは随分昔だが、そこに書かれている大きなテーマは鮮明に残っている。    
 私が思うに、手塚治虫さんの漫画には、私達人間に対する大きなメッセージが込められている。2年ほど前にアニメ化されていた『ブラック・ジャック』にもそれは言える。高額な手術代を要求する冷徹な医者の顔の裏に優しい素顔を持っているのである。他の作品でも、あらゆる人権問題、環境問題、平和などについて描かれている。

 さて、昨日と今日の道徳は、多文化共生がテーマである。一言で、在日外国人との共生といっても奥は深い。そして、日本人、外国人だけでなく、同じ日本人の中でも問題は多い。
 共生という視点を拡げて考えてみると、最近流行している【KY】という言葉の裏にも問題は見え隠れしている。【空気が読めない】の頭文字をとっているのだが、この言葉にはとても恐ろしいものが宿っているように私は思う。非常識な行為をとらえて【KY】と言うならまだしも、ときとして排除の意味を込めて使われているときもある。仲のよい仲間同士だけで通じる空気を感じられない者を排除してしまう空気である。
 日本人と外国人の間でも同じことを考えることができるのではないだろうか。文化の違う外国人を、自分達のものさしで考えてしまうことは、理不尽な【KY】につながっているのかもしれない。

 道徳や、人権学習では、知識ばかりを得ていくと、勝手に「言ってはならないこと」「たずねてはいけないこと」と決めつけて、疑問が解決できなかったり、議論ができないことがある。
 そう、頭では分かっているが、心に落ちていないという状態である。
 頭ではみなわかっているなら、その先どうすべきなのか…、心に落ちていないことをどんどん声に出して考えていきたいものである。そうでなければ、人権問題の解決への道は遠い。いや、閉ざされると言った方がいいか。
 話があちらこちらに行って申し訳なかったが、多文化共生の学習を通して、あなた達の今あるべき姿をじっくり考えてみて欲しい。

写真は最近の3組の様子

 もうひとつの学年通信 No.30 2008.2.21(木)2008.2.21
我が家は夫婦揃って教員だ。同じ仕事を選んだ訳だが、そこにたどり着くまでの過程はまるっきり違う。
私は学生時代、野球一色の生活だった。野球ができる環境を求めて、それを第一に進路選択をした。そしてそんな中、父親が教師だったことや、クラブ活動として野球を続けられるだろうということで教師への道を目指した。その道は決して平坦ではなく、だからといって机に向かう勉強ばかりをしていた訳ではなく、もちろん野球を続けながらの毎日だった。好きなことを貫いたおかげでその努力を認めてもらい私は今みんなの前に立っている。
 奥さんは、というと、教師にはなりたくなかったそうだ。もっと自分を試せるような世界にあこがれていたようだ。が一方で専業主婦の母のようになりたいとも思っていたそうな。だが何故か教育学部へと進学する。これといって自信のあるものがなかったからひたすら勉強したそうだ。平日は毎日7時にはテレビを消されるので勉強タイムとなり、中3の夏休みには1日12時間は勉強したらしい。教育学部に進むと教育実習が待っている。教師になる気もないけれどやらなくては、いけないので行ってみたら、あまりの楽しさにびっくりした。これはいかん、教師になろう、ってことで現在に至るそうな。
 十人十色という言葉があるように、ゴールの数、それに至るまでの過程も人それぞれであって、どれが正解でどれが間違っている、というものでもない。若いうちは、夢を大きくもち、挑戦していってほしい。今もっている夢が、叶う日まで・・・

「ドリーム・アゲイン」私は大学4年の春のリーグ戦、神宮球場で最後の打席を花道に現役生活にピリオドをうった。体が動かなくなったわけではないが、自分で野球をすることから指導する側にまわろうと決めたからだ。企業のチーム、草野球やソフトボールのチームでプレーしないかという誘いはたくさんいただいたが、魅力を感じることはなく、近年PTAのソフトボール大会と中学校の先生と高校の先生の親睦野球大会に出る以外は、自分から野球をしたいと思うことはなかった。
 昨年、反町隆史がプロ野球選手を題材にもう一度夢を追いかけるというドラマをやっていた。ドラマに影響された訳ではないが、自分も夢を追いかけることを決意し、今年になって現役復帰をした。今年になって高校時代のチームメイトから「もう1度甲子園を目指そう」と誘いを受けたのがきっかけだ。「マスターズ甲子園」というのが阪神甲子園球場で開かれており、三重県の大会で優勝すると甲子園で試合ができるという大会だ。来月から大会が始まるが、どうなることか不安でもあり楽しみでもある。30歳になって甲子園を目指して白球を追うことになったが、自身3度目の甲子園出場にむけて夢叶う日まで頑張りたいと思う。

 写真は修学旅行の1日目、新幹線の中で
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