2003年度の6年生が総合の時間に、グループで調べ学習をして、まとめました。削除するのが惜しいと思いますので、継続して、川島の紹介のページとして載せさせていただきます。もと6年生のみなさん、ご了承下さい。
伊勢三郎義盛について | 川島の竹について |
西 福 寺について | 神明神社 |
川島駅のこと | 三重のお茶について |
川島の名物竹について by K・S
川島といえば竹とたけのこです。僕はその竹についてなにか知りたいと思い、竹の調べ学習をしました。
1.竹と笹の見分け方
まずは、よく似ている竹と笹の見分け方です。竹と笹の見分け方は、細めでいつまでもタケノコの皮が落ちないで残っているのは、笹です。(メダケと言うのがあるけど、あれは笹の仲間です。)それ以外のは、全て竹です。
2.モウソウチクとマダケの見分け方
川島にもある竹です。竹の中でも特に有名です。見分け方は簡単。ゴムのような輪が一つだったらモウソウチク二つだったらマダケです。(ふしの事です。)川島には、このモウソウチクとマダケが多いです。一度小学校の竹を見に行ってはどうですか?(できれば) 後、竹は(知ってる人も多いと思うけど)一つの根に、何本も竹が付いてます。
川島小学校の竹です。↓
3.どうでしたか?
皆さん、竹についてなにか知らなかったことを知ってもらえたでしょうか?
(知らないことは無かったかもしれないけど。)短くてすいません。思ったよりも、資料が集まりませんでした。
4.二人の感想
竹には、いろいろな種類があり、それが身近にあるんだなあと思いました。また、この総合の調べ学習「川島の竹」をやって良かったと思いました。
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/museum/tantei/metake.htmより。トップへ
by A・S・H
私達は西福寺について調べました。西福寺には、伊勢三朗義盛のお墓があります。他にも西福寺は、一回焼かれたともいわれています。ただ、本当の事かわかりません
次に伊勢三朗義盛について発表します。義盛は武術の修行を積んだ、忍術の達人である。行基(668〜749)が残した「十界」を理解し、更に独自で剣の修練を積み、恐ろしい剣技を生み出した。源義経軍の最強剣士。その技術は、たった13騎で平家軍3000騎を降伏させるほどだった。
下が西福寺と伊勢三郎義盛の墓の写真です。
西福寺 伊勢三郎義盛の墓
A
私は、この調べ学習で、伊勢三郎義盛のことを初めて知り、西福寺のことをよく知れてよかったです。
S
私は、伊勢三郎義盛の首塚が通学路から見えるので、どんな人かと思っていたから、この調べ学習で分かってよかったです。
H
義盛が、どんな人か、わかったしよかった。
歴明寺のおばさん
西福寺のおしょうさん
川島の歴史(本)
http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuji/saifuku.html
川島駅 のこと by K・H・I
調べようとした理由
○K○
いつも湯ノ山線に乗っていて、川島駅のことが知りたくなったから。
○H○
川島駅で最初に走った電車が知りたかったから。
○I○
昔から電車に興味があったから (100年前)
調べたこと
○電車の切符は何回変わったのか?
二回(近鉄のマークと電車のマーク)
○川島駅はいつできたのか?
最初にできたのは、大正二年 五月三日
改装したのが、昭和五十一年 十二月二十一日
○川島駅で最初に走った電車は?
軽便鉄道機関車(今の電車の四分の一の大きさ、大正五年〜昭和二十三年ごろまで走っていた)
○川島駅ができる前は?
三重交通
感 想
○K○
川島駅がいつできたとかいろいろ知れてよかったです。
○H○
川島駅で最初に走った電車がわかったからよかったです。
○I○
川島駅が・・・できる前は三重交通だったのがびっくりしました。
参考にした本:川島の歴史
聞き取りをした人:川島駅の駅員さん、通行人のおばさん トップへ
神明神社 by T・A・S・O
ぼくたちは、神明神社を調べるため、神社に行ったり市民センターに行ったりしました。
1、川島郷の神主は、
◎赤堀城の子孫原子が奉氏していたが明治31年になって、品川久雄氏に変わり大正3年まで務める。品川氏は“五鈴”と称する有名な日本画家であった“漢文”和歌にもすぐれた人で昭和2年に拇亡くなる。
その次に広田三郎氏が神主でもともとは西福寺の門徒であった広田氏は川島神明神社の雅楽を創設し、又“長春”と号して和歌を好み、昭和44年8月89才で亡くなるその後、神主はいなくなった。
川島神明神社に“こう徳碑”がある。
2.郷土の神社
鎮守の森
徒来より川島郷で崇拝されてきた神社に川島御厨神明神社 御園川島神社 佐々木神社 生水神社 天白神社 狭間神社 など各社あったが、明治42年、“神明合祀訓令”により合祀されたその結果、村社として“川島神明神社”と“御園川島神社”の二社となる。
×思ったこと×
神明神社のまわりは木がたくさんある、だが最近その後ろの木がどんどん切りたおされてしまっている。
☆感想☆
・神明神社には、ひとはいなかったけど歴史が深ーーーいと思った 、木が切り倒されているがそれでも木が多かった、あと、調べるのが大変だった。
・この神明神社について調べていて神主さんがいなかったことがちょっとざんねんだったけど神社をみていたら、なんとなくだけど、歴史がわかったような気がした。
参考にした本:川島の歴史
教えてもらった人:市民センターの人
終わり トップへ
☆三重のお茶☆ by Y・I
☆調べようと思ったわけ☆
・ 私たちは、三重県が、お茶が有名ということを知って、興味を持ったので総合の時間を使って調べてみることにしました。
☆ 三重のお茶は全国3位☆
・ 三重県は、お茶の栽培面積・生産量・生産額が、静岡県、鹿児島県についで全国3位です。特にアミノ酸の一種である「テアニン」を多く含んだ「かぶせ茶」の生産量については、全国2位で、三重県全体の生産量の約3割を占めています。その他にも、「煎茶」・「深蒸し茶」が多く生産されており、茶品評会では、何度も農林水産大臣賞を受賞しています。
※「伊勢茶」とは、三重県で生産されたお茶のことを言います。
全国のお茶の生産の割合
☆水沢茶とは☆
伊勢茶は、全国第3位の生産を誇る一大生産地です。その中でもすいざわは中心的な産地で、かぶせ茶をはじめ煎茶などおいしく香り高いお茶として親しまれています。三重県は、全国第3位の生産県で、その中でも「すいざわ」は、もっとも中心的な産地です。伝説では、約1000年ほど前に、中国にわたった僧侶によって茶が伝えられたといわれています。その後、室町時代に「すいざわ」本郷に光明寺が建てられ、その寺の薬草茶園として栽培されたお茶が現在市史跡「冠山茶の木原」と考えられています。現在の産業としての茶業のはじまりは、江戸時代の終わりのころに、常願寺の住職「中川教宏」の薦めで発展しました。明治になると、お茶は、アメリカに沢山輸出され、それにとない「すいざわ」の茶の生産も盛んになりました。現在では、四日市市で870ha、そのうちすいざわで500haが栽培され、約2000トンの荒茶が出荷されています。
☆ 水沢茶作り(加工)の説明 ☆
葉を蒸します(蒸熱) 摘み取ったばかりのお茶は水分もたっぷり含んでおり、そのままでは葉の中にある酵素(ポリフェノールオキシダーゼなど)の働きにより緑色が失われてしまいます。葉を蒸気の中を通して(約30秒)酵素を失活させ、すぐに風を送って冷却し緑色を保ちます。ウーロン茶や紅茶はこの操作を行わないため、赤茶色をしています。 |
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葉の露をきる(葉打ち) 蒸された葉は葉打ち機に入れられ水分が切られます。葉打ち機の中には鍬の刃のような手(もみ手)とフォーク状の手(さらい手)がいくつも回転していてこれで茶葉をさばきながら90℃ほどの熱風をあてて水分を取ります。葉の状態を見ながらおよそ15分ほど処理します。 |
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葉をもみながら乾燥します(粗揉) 粗揉機は葉打ち機とほとんど同じ形状をしています。熱風(80〜90℃)を送って葉を乾燥させますが、葉打ち機と違って葉をもむ方にも重点が置かれています。水分が40%程度になるまで乾燥されます。葉の状態を見ながらおよそ30分ほどかかります。 |
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葉をよくもみます(揉捻) 次に揉捻機で葉は強くもまれます。揉捻機の台の上には渦巻きのような形をした金属製の棒が埋め込まれており、この上を桶のような形の「もみ桶」がぐるぐると回転します。お茶の葉はもみ桶の中に入り、その上に円錐形のふたが乗って押さえられます。このようにしてもまれることにより葉の中の水分は外ににじみ出し、均一になります。20分ほどかけます。 |
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さらに乾燥します(中揉) ドラム型回転機の中で熱風をあててさらに水分をとばします。この装置の中にもやはり「もみ手」が付いており、茶葉を軽く圧することで葉の中の水分を取り出します(約20分)。 |
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乾燥して葉の形を整えます(精揉) これは非常に複雑な機械です。台の上にはギザギザの溝の付いた弧状になった盤(揉盤という)があり、お茶の葉はこの上に乗ります。その上を平べったいふたのような盤が前後に動き、茶葉はこの間をすりつけられるようにして細い針状に形が整えられます。揉盤は釜になっていて約90℃に加熱されています。動いているところを見るとその精巧なつくりに感心してしまいます。約30分。 |
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乾燥します(乾燥機) タンスのような形をしていますが、引き出しのところ中は網底になっていてお茶を広げて入れて乾燥させます。精揉後の葉は水分が13%ほどあります。貯蔵性を高めるため3%位まで乾燥します。約60分。 |
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出来上がり このようにして出来上がったのが荒茶です。この後仕上げ、加工を行い商品として販売されます。出来立てのお茶はなんと言っても香りと色が抜群です。ゆっくりと味わいましょう。おいしいお茶をいつでもいただくため、お茶は缶などに密封して涼しいところに保存しましょう。でもやはり、開封したら早く飲むのが一番です。 |
お茶の生育に適した気候条件とは、気候がやや冷涼で、昼夜の気温差が大きく、かつ河川に沿った湿度の高いところであり、また朝夕霧のかかるところとされてきました。市内では南西部地域の丘陵部地帯がこの気象条件に当てはまり、水沢、小山田、川島の3地区で市全体の栽培面積の約97%を占めています。
〜お茶が消費者の手に届くまで〜
自製農家
3) 大規模製茶工場があります。
問屋は
1) 産地問屋 2) 消費地問屋があります 普通20kg〜30kg程度の梱包で取り引きされ、最終的には100gなどの小さな袋や缶につめなおして売られます。
市場は
主に茶生産者と問屋の仲介をする。また、下記のような仕事もする。
水沢茶農業協同組合の仕事
1) 茶市場としてよいお茶、高く売れるお茶を作るためにはどうしたら良いかを指導する。
2) 茶市場としてできた荒茶を産地問屋や全国の問屋に売りさばく。
(消費者に産地直販もしている)
3) 冷蔵庫に保管して、必要に応じて出荷する。
4) 荒茶を葉、茎、粉などに仕上げる加工をする。
専門店
昔からお茶を販売している専門店は、お茶に関する情報が多く、店主なども専門知識を持っている場合が多いので、
色々と相談ができます。全国には、多くの茶産地がありそれぞれ特色のあるお茶を扱っています。
産地直送・通信販売
茶として生産されたお茶や仕上茶を直接消費者に販売する産地直送の販売形態が最近増えています。
これは、宅急便などの配送が手軽になったことと、電話、FAX、インターネットなどの注文方法の多様化が大きく影響しています。
三重県内でもインターネットのホームページを開いて販売している生産者や流通業者があります。
☆感想☆
Y・・・三重県のお茶が、全国3位だということを初めて知りました。三重県のお茶は、いろいろな賞をとったと、いうことも初めて知りました。川島も、たくさんお茶を製造していることも分かって勉強になりました。
I・・・3年生の時、お茶の勉強をしたけれど、いろいろ分かっていい勉強になったとおもいます。
〜参考にしたホームページ〜
伊勢茶の郷すいざわ
伊勢茶ネット トップへ
by Y
このことを調べた理由
いつも通学路を通っていて疑問に思ったことで、川島神社の前に「伊勢三郎義盛の塚」と言うのが、あってそれがなにか?などを調べたかったからです。
伊勢三郎義盛とは・・・?
『川島』という名に切っても切れない人物です。
現在の三重郡菰野町福村に平安時代末期、三重郡司・俊盛の子として生まれ、後に源義経の家来となり、源平合戦などに登場します。また、鈴鹿の山賊としても有名で、義経共に源氏のために、よく働いたといわれていますが、その後、この義盛、義経らと共に、義経の兄、源頼朝に追われる身分となり、京都で捕らえます。この首を家来が持ち帰り、この川島の地に埋めたとか、鈴鹿の山に帰って自害しとかいわれていますが、現在、川島神社の前にある「三郎塚」の円墳は古い川島の歴史を物語っています。
この末えいを河島五郎義晴、その子、孫に河島宮内太夫永時という人あり・・・と伝えられ、これらの先人の名をとって「川島」という名称になったともいわれています。
・ 川島神社の前実際にいってみてそこには、『伊勢三郎義盛の塚』があってその写真を見せます。
↓ 下のは、『伊勢三郎義盛の塚』です。
西福寺
インターネットで調べたところ、西福寺に『伊勢三郎義盛の墓』にあるということで行ってみました。
西福寺の人に聞いて、写真をとらせてもらいました。こんなに伊勢郎義盛が有名だとしりませんでした。きかいが、あったら伊勢三郎義盛についてしらべたいです。
参考にしたもの,「ゆきこの“川島めぐり”」 トップへ