2023/10/30 | 【150】羽津小学校の歴史3(昭和20年代) | | by 羽津小管理職 |
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羽津小学校百年史、百二十周年記念誌、学校沿革史を参考に、昭和時代の羽津小学校の歴史を振り返ります。
昭和23年5月に山手小学校に統合された経緯については、学校沿革史に次のように記されています。
昭和23年5月「進駐軍の学校管理政策により四日市市立羽津小学校は廃止 この為校舎は山手中学校となり児童は海蔵地区の山手小学校(旧海蔵小学校)に通学と決定 但し霞ヶ浦、白須賀、仝新田、八田、鵤、別名町児童中一、二年は遠距離の為分校設立の上現校舎に残ることになる」
昭和24年7月に羽津小学校が復活した経緯については次のように記されています。
昭和24年7月24日「山手中学校校舎新築により旧羽津小学校児童は旧校舎に復帰し再度羽津小学校となる この為旧校舎(大正年間設立)は山手中学校校舎用の為移築さる」
羽津小学校が廃止され山手小学校に統合されていた間、羽津小学校は山手中学校として用いられていました。この間、主に現在の羽津北小学校のエリアの1年生と2年生は、遠距離であることに配慮し、山手中学校内に山手小学校の分校を設置し対応したものと思われます。山手中学校が新築移転されたときに、羽津小学校は復活します。