大正時代に小学生がテニスをしていたのは驚きですが、高等科、今の中学生についての記述だったのかもしれません。羽津小学校にもテニスコートがあったのですね。(昨日の【150】昔の遊び(大正時代)をご参照ください)
羽津小学校百年史には、昭和の初め頃の羽津っ子たちの遊びの様子も記されています。学校以外にも子どもの遊び場がたくさんあったようです。
現代の子供のような塾もなければ、お稽古事もなかったその時代の子供たちは、学校から帰ると遊ぶことしか知らないようによく遊びました。山の寺と呼ばれた正法寺(羽津山町)の鐘の音が、「夕やけ 小やけ」の童謡そのもののように夕刻を知らせてくれるまで夢中だったのです。めんこ、独楽、竹とんぼ、おはじき、お手玉、毬つきと昔から伝わる遊びと並んで、戦争ごっこが男の子の人気を集めたのは、世相の反映でしょうか―。腰 に木の棒をさして、無邪気に野山を飛び回りました。そのころ、少年飛行兵の水上飛行機が富田浜海岸にやってくると、一目散で走って見に行きました。隊員の一糸乱れぬ行動に何と勇ましく立派なものかと、この時代の少年たちにとっては、憧れの的でした。
霞ヶ浦の波打ちぎわで貝殻を拾ったり、海ほおずきを探して口の中でギュウギュウ噛んで鳴らしたこと、田んぼの畦に積まれた麦藁で、蛍籠を編んで、夜になると蛍獲りを楽しんだこと、楽しい思い出を残した自然の遊び場は、今はその面影もなくすっかり変ってしまいました。
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