羽津小学校百年史に、大正時代の登校の様子が記されています。当時も各区別に通学団があり、集団で登校していたようです。また、全員が校門を通っていました。現在の東門と思われます。雪の日の苦労なども書かれています。
みんな膝下までの着物に藁草履を履き、本やノートは風呂敷に包んだり、布の肩掛け鞄に入れて、各区別に通学団で登校しました。 5年生以上は男女とも、袴を着けました。校門を入ると左側に奉安庫があって、この前で脱帽、最敬礼をして教室へ行きました。奉安庫とは「ご真影」といわれていた在位天皇の写真や教育勅語が安置されている建物で、当校では明治43年3月に味香啓二郎、富永四郎両氏の寄贈によって木造瓦葺1棟が新築されました。
学枚へ履いて行く藁草履は、家の祖父母や父母が雨の日や夜なべに藁を横槌で打って作ってくれるのです。たいていが1日で破れてしまうので、 家中の者が履こうと思うと随分たくさん作らなければなりません。
また、雪がたくさん降ると大変困りました。下駄を履くと歯の間に雪が入って転ぶので、下駄や草履それに足袋などを腰に巻きつけて素足で学校まで走って行くのです。学枚に着いてから真っ赤になった足に足袋を履くと、足が火照ってきます。中には竹馬にのって登校して来る子もいました。
或る日のこと、森君が学校へゴム靴を履いて来ました。みんなびっくりして森君を取り巻いて黒山の人だかり。『ぼくもあんな靴が欲しいなあ。』とたいへんうらやましかったものです。
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