四日市市立羽津小学校
 

日誌

新規日誌20 >> 記事詳細

2023/10/31

【150】羽津小学校の歴史4(昭和25年)

Tweet ThisSend to Facebook | by 羽津小管理職
 羽津小学校百年史、百二十周年記念誌、学校沿革史を参考に、昭和時代の羽津小学校の歴史を振り返ります。
 給食について、学校沿革史に次のように記載されています。

昭和25年9月10日「児童数増加の為第三校舎新築(この校舎中に給食室の完成を見る)」

 羽津小学校百年史には次のような記述があります。

「昭和25年給食制度ができ、その設備も整い、各学級では給食当番がきめられて、当番になった人は、マスクやエプロンをつけてパン、ミルクなどを配るといった衛生的なものになりました。当番の人が配り終わるまでは、みんな席にきちんと座って待ち、配り終わると「いただきます。」といって食べ始めるのです。特に給食のミルクの味は、誰しも忘れることができないものでしょう。近所の友だちが学校を休めば、パンをとどけてやったものです。」

 第三校舎は木造で、今は残っていません。その中に給食室が設置され給食が始まったことがわかります。
 ところで、ミルクの味を「忘れることができない」とはどういう意味でしょう?百年史の昭和30年代の項目に、「このころミルクの二重釜という機械が購入され、これによって、粉乳をお湯でといたようなざらざらした感じのミルクが、ほんとうの牛乳のような感じになり、味もよくなったので児童の間で好評でした。」とあることから、ネガティブな意味が込められていると思われます。
08:00 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)