9月21日(木)午後、5年生と6年生が団体表現の練習をしていました。まだ1週間以上あるのですが、子どもたちの意欲が伝わってくる演技でした。
組体操
組体操
ダンス
羽津小学校百年史によると、昔(おそらく明治時代)の運動会は次のようなものでした。
運動会
春の運動会は「浜の運動会」といって、今の競輪場と海蔵川の間の海岸で行なわれました。また志氐神社の祭りの翌日が秋の運動会と決まっていて、これは校庭で行なわれました。祭りのすしを弁当に持ち、家族だけでなく親類の人まで誘って運動場に集まりました。児童数が少ないので、運動場が広々として何かひっそりとした感じでしたが、男子は騎馬戦、徒歩競走、綱引き、女子はオルガンやバイオリンの伴奏で、「織りなす錦……」や「青葉茂れる桜井の……」と唱歌を歌いながら、校庭いっぱいの輪になって、遊戯をしました。
この日は、校門前や砂浜にたくさん出店が並び、くじ引きをしたり駄菓子を買ってもらうのも運動会の一つの楽しみでした。
また大正時代の運動会は次のようなものでした。
運動会 - 春と秋の2回行なわれました。春の「浜の運動会」は年に一度の学校の大移動で、大八車に運動会に必要な道具や小使いさんがお湯を沸かすための鍋や釜などを積んで運んだのです。秋の運動会は校庭で行なわれましたが、当時運動場が校舎で表側と裏側とに二分されていて、表側の広い方でも百メートルのトラックがやっととれるくらいでした。ですから当日は、裏側の運動場で整列や準備などをして、表側の連動場で綱引きや体操などの競技をしました。6年男子の倒立競技が、満場の喝采を博したこともありました。観覧に来た父兄は、運動場が狭いため各区1教室ずつが割り当てられて教室内から声援を送りました。なかでも区別のリレーはプログラム中のメインエベントで、その熱狂ぶりは大変なものでした。 また、近くの学校の選手を招いて学校対抗のリレーも行なわれましたし、当校からも他校へ出かけて行きました。
こちらは平成3~5年頃と思われる運動会の写真。今とほとんど変わりませんね。(百二十周年記念誌より)
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