四日市市立羽津小学校
 

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2023/10/27

【150】羽津小学校の歴史2(昭和)

Tweet ThisSend to Facebook | by 羽津小管理職
 明治7年5月10日に光明寺の境内に小屋を作り、羽津学校が創立しました。明治14年のちょんぼり校舎を経て、明治36年10月に現在の位置に移転しました。明治期には日本の学校制度の変遷に合わせ、修業年限と学校名が変化してきました。最終的には明治43年に羽津尋常高等小学校となり、義務教育である尋常科6年と義務教育でない高等科2年(現在の中学校の1・2年)が並置され、以後、昭和16年の春まで維持されます。
 羽津小学校百年史と百二十周年記念誌を参考に、昭和時代の羽津小学校の歴史を振り返ります。

昭和4年3月  木造講堂完成
昭和8年    国旗掲揚台設置
昭和11年   二宮金次郎像設置(寄付)→戦時中に銅像が軍需品として回収される
昭和12年頃  奉安殿新築(寄付)→終戦後に撤去
昭和13年   楠公像設置(寄付)→戦時中に銅像が軍需品として回収される
昭和16年4月 四日市市立羽津国民学校に改称
昭和22年   四日市市立羽津小学校に改称
昭和23年5月 四日市市立山手小学校に統合
昭和24年   旧校舎取り壊し→その木材を山手中学校の校舎建築に使用
昭和24年7月 四日市市立羽津小学校が復活

 昭和10~20年代は戦争の影響が大きい時代でした。昭和22年には戦後の教育制度に切り替わり、現在まで続く6年制の羽津小学校となりました。また昭和23~24年にかけては、学校の統合、旧校舎の取り壊し、学校の復活が続きました。
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