今,2年生は国語の単元で「ニャーゴ」という物語文を学習しています。
※あらすじ
猫とねずみは,普通「食う-食われる」関係にある。だから,「ねこ」が「ニャーゴ」と鳴けば,子ねずみたちは食べられることを恐れて必死に逃げ出すはずであった。しかし,先生の話を聞いていなかった子ねずみたちは,猫の恐ろしさを知らない。最初の「ニャーゴ」を挨拶だと勘違いし,無邪気に,また親切に接する。子ねずみたちを食べるつもりでいた猫は,その子ねずみたちの無邪気さと優しさに触れ,心動かされる。という作品です。
学習を進めていくうちに,2組では意見が二つに分かれた場面があり,「みんなで話し合おう!」と、いうことになりました。ディベートもどきみたいなことを始めると子どもたちが「ニャーゴ会議だ!」と言っていてなんだか楽しんでいる様子でした。
二つに分かれた部分はどこかというと,最後の場面の
ねこは,ももをだいじそうにかかえたまま,
ニャーゴ
小さな声で答えました。
(そして猫の挿し絵があり,猫が泣いています。)
という部分で,ニャーゴに続く文を考えさせました。
❶一つ目の意見は,
「やさしくしてくれてありがとう,さようなら。と言って嬉しくて泣いていると思います。」という意見。
②二つ目の意見は,
「今日は食べられなかったから,次は絶対に食ってやるからな!と言って悔しくて泣いていると思います。」という意見が出ました。
そこで,「ニャーゴ会議」が始まりました。
➊「本当にねずみを食べたいと思っているのなら,ももをだいじそうにかかえない!」
②「これは子どものために持って帰るからだいじに持っているだけ!」
➊「ねずみを食べたかったら,ももを置いてでも今すぐねずみを追いかけて食べるはずだ!」
②「今日はここでさよならして,次会ったとき油断したねずみを食べるんだ!」
と,本文をもとに意見が繰り広げられました。(もっとたくさん意見が出ましたが省略させていただきます。)
友だちの意見を聞き合いながら,最初はこう思っていたけれど〇〇さんの意見でこっちの意見に変わりました。
最初はこう思っていたけれど,〇〇さんの意見を聞いて変わったけど,やっぱり自分の最初の意見に戻りました。
最初はこう思っていたけれど,〇〇さんの意見も〇〇さんの意見も賛成でわからなくなりました。
と,子どもたちはこの「ニャーゴ会議」でたくさんの学びの足跡を残しました。
私は教師として,このことで,
これまでの学習内容の読み取りが甘かったのか?と,気づかされ反省する部分と,
この「ニャーゴ会議」をどう結論付ければいいのか。
教師として子どもたちに指導しなければいけないことを教えることに意味があるのか?
成長過程で,また読んだときにこの物語を理解できる日が来るのではないのか?
今の考えはこのままで良いのではないか?
と、たくさんの疑問と迷いが生まれました。迷いに迷いましたが,本日教科書の教材として指導すべきところは教えました。
子どもたちには,長い間モヤっとさせて帰していたので,「お家でもニャーゴ会議の話をしてきた!」というお話をたくさん聞くことができ,これでもうこの「ニャーゴ会議」の意味があったのではないかと思いました。ご協力いただきありがとうございました。
人間学びたいという意欲が自分の可能性を超えどこまででも成長していける素敵な生き物だ。と思い,改めて「一生勉強一生青春」と感じました。
また,子どもたちの音読劇を動画で載せられたら載せたいと思っていますので,お楽しみに!(動画載せられなかったらすみません…。)
☝ 怖い猫になりきっている様子です。
BY 2年2組担任