1歳5か月のときに被爆された田中聰志さんからお話をうかがいました。ご家族の多くが原爆で亡くなったり傷ついたりしたこと、給食の脱脂粉乳はUNICEFによる難民支援であったこと、新聞記者をされていたときに放射線の影響に苦しむ人を取材して辛かったこと、ご自身も原爆症に苦しまれたことなどをお話しいただきました。
生徒からは、どのような差別を受けましたか?太平洋戦争についてどのような考えを持っていますか?新聞記者としてよかったと思えることはありましたか?核兵器の残酷さを知っているのになぜ核兵器はなくならないのですか?といった質問があり、それぞれていねいにお答えいただきました。
フランスのテレビ局の取材が入りました。平和公園や資料館でも外国の方をたくさん見かけました。世界にとってもヒロシマは平和への祈りに満ちた場所なのだと思いました。