第2次世界大戦の終盤に、ヒロシマやナガサキに原爆が落とされたことは多くの皆さんが知っていると思います。
この四日市にも、空襲があり、大きな被害があったことを知っているでしょうか?昭和20年(1945年)6月18日午前0時45分、四日市の街中に焼夷弾(発火性の薬剤を入れた爆弾。家や工場などを焼き払う目的で使用)が落とされました。真夜中の約1時間半にわたる無差別攻撃で、使われた焼夷弾は11,000発を越え、市全体の約3分の1が焼失し、焼け野原となりました。
この日以来8月8日まで、合計9回の空襲があり、工場をはじめ、市街地は壊滅的な被害を受けました。これらの空襲での人的な被害は、死者800人以上、負傷者1,700人以上、被災者49,000人以上と言われています。
来週の火曜日は、四日市空襲から79回目の6月18日です。
平和を考える1日にしてみませんか?
挿絵は
「四日市にも戦争があった ~四日市空襲の記録~」
編集・発行 四日市空襲を語りつぐ会
から、許可を得て、掲載しました。
四日市市立博物館では、6月11日(火)~9月1日(日)まで、「四日市空襲と戦時下のくらし」と題して、学習支援展示を行っています。
夏休みなど、機会があれば、是非訪れてみましょう。
また、6月16日(日)には、「四日市空襲を語り継ごう」という企画も予定されています。