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【お諏訪おどりとは】 【お諏訪おどりの歴史】 【お諏訪踊り 歌詞】 【踊り方】 【水まつり】 【花笠と太鼓】 |
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鈴鹿山麓には各所に大きな太鼓を首に抱えて踊る、太鼓踊りが伝承されています。 四日市市水沢町の太鼓踊りはお諏訪おどりと呼ばれ、踊りながら跳躍する独特な動きが特徴です。 現在のお諏訪おどりは1720年、干害に苦しむ水沢町の庄屋で瀬戸用水の完成に尽力した辻久善への「お礼踊り」として奉納したことに始まります。 以来、地域に根付いた伝統芸能として発展し、明治40年まで毎年7月16日に山の上の「諏訪社」の社前おいて、水祭りとして奏納されました。昭和48年には、四日市市の無形民俗文化財に指定され、現在では、7月31日の足見田神社の水まつりの一部として行われています。 お諏訪おどりの踊り子は、頭に花笠をかぶり首から大きな締め太鼓を下げて、円になって旋回しながら踊ります。周りには笛やほら貝や唄い手がつき、踊り子の勇壮なばちさばきを盛り立てます。 また、同様の太鼓祭りは、水沢地区では水沢三本松町、水沢西條町の8月の盆踊りでも披露されているほか、水沢野田町でも8月24日の地蔵盆と10月9日の秋まつりに行われています。 【上へ】 |
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水沢がかつて「川上杉村」と呼ばれていた頃、村は水の便が悪く、村民は水不足に苦しんでいました。 江戸初期の徳川家光の時代、村名主(庄屋)の辻久善は水の便をよくするには鈴鹿山麓の鎌ヶ岳から内部川に流れる水を引き、村内にかんがい用水路を作る必要があると考えました。村の総代(村長)に選ばれた久善は1641年、瀬戸用水と童子池の工事にとりかかりました。 しかし1645年、瀬戸用水取水口の設置場所をめぐって大久保村(現鈴鹿市大久保町)と話し合いがもたれ、工事は一時中断されます。 |
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そも諏訪神(すわかみ)と申するは 【上へ】 |
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お諏訪おどりが奉納される足見田神社の水まつりは例年7月31日に行われます。 当日は神社への道々に、本校の児童が作った行燈が並び、訪れた人々を出迎えます。また、神社の境内には大小さまざまな提灯が飾られます。 |
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踊りは「お宮祝入り」「お諏訪」「名所」など複数の種類で構成され、踊りが変わると参加者も入れ替わります。 当日は若者だけでなく、「お諏訪おどり子どもの部」として、小学生も参加します。 |
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歌い手たちは祭り用の法被に身を包み、うちわであおぎながら声をそろえて歌います。その歌や笛の音に乗って、浴衣姿の踊り手は太鼓を叩きながら踊ります。 お諏訪おどりが終わると、色とりどりの花火が打ち上げられ、水沢の夜空を美しく彩ります。 【上へ】 |
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頭に被る花笠です。 笠の直径約40cm、高さ約90cm、骨組みは一年以上ねかせた竹を使い、和紙・色紙等で飾ります。作り方や作る道具にも伝統的な工夫が凝らされ、作り方のマニュアルも残していきたいと考えています。 花を地面にこすりつけるほど激しく踊るのがよいとされています。 【上へ】 |
子ども用の締め太鼓です。 打面の直径、深さともに約40cm、重さは約3kgです。 |
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(参考文献・資料) 『水沢村郷土誌稿』 鈴木準吉 『四日市市史 第六巻 史料編 絵図』 四日市市 『わが愛する郷土 水沢の今と昔』 清水 正茂 『ふるさとの歴史 水沢の歴史とこばなし 望郷』 清水 武 |
三重県四日市市水沢町2491番地
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