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お茶の郷 水沢
 水沢の茶園

【茶園】 【水沢のお茶の歴史】 【水沢の伝統文化 お諏訪おどり】


茶園


 春先から初夏にかけて、水沢の茶畑は美しい緑色に染まります。

 三重県のお茶の生産量は全国3位で、その中でも水沢地区は歴史、生産量ともに三重県を代表するお茶の産地です。

 水沢でお茶作りが盛んになった理由としては、土地の水はけがよいこと、雨量が豊富で温暖な気候であることなどが考えられます。

 特に上質で香味のあるかぶせ茶は日本一の生産量を誇ります。かぶせ茶は写真ように黒い覆いをかぶせて、遮光して育てます。遮光することで、代表的な旨味成分であるテアニンがカテキン等に変化するのを抑制しています。その結果、適採する新芽の中に旨み成分のテアニンが多く残るのです。

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 かぶせ茶

水沢のお茶の歴史


 水沢のお茶は平安時代の始めに空海が伝えたとの伝承があります。
 飯盛山浄林寺(現・一乗寺)の住職である住持某が、空海が唐から帰国した際に持っていた茶の実を植えたことが始まりだと言われています。


一乗寺
 


 植えたのは雲母峰(きららみね)の南側にある冠山茶ノ木原です。ここに植えられた茶の実は空海直伝の製茶法で栽培され始めたのです。
 水沢を一望できる冠山茶ノ木原では、今でも古い茶樹の姿を見ることができます。

冠山茶ノ木原


 江戸時代には重税によってお茶の栽培は減少しますが、江戸後期に常願寺の住職、中川教宏によって再興します。

 教宏は宇治の茶業を見て帰村し、まず水沢三本松の大畑に茶園を作ります。さらに宇治から良質の茶の実を持ち帰って植栽し、茶師を招いて技術を開発、普及させることによって水沢の茶業の振興に努めました。


常願寺


 明治になって茶の輸出が始まると、換金作物としての栽培が急増するようになり、大いに栽培面積が拡大されました。

 現在では機械化が進み、約500haの茶園から約2000t ものお茶が生産されています。


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機械化



(参考文献・資料)
『四日市市史 第四巻 史料編 文化財』 四日市市
『わが愛する郷土 水沢の今と昔』 清水 正茂


四日市市立水沢小学校
三重県四日市市水沢町2491番地
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