昭和20年6月18日、四日市市は大規模な空襲に見舞われました。
太平洋戦争の長期化と深刻な戦況が続く中で、昭和19年に米軍による日本本土への本格的な空襲が始まりました。
最初は東京や大阪などの主要都市が攻撃されましたが、昭和20年6月、空襲による攻撃目標が中小都市に拡大されました。
18日未明、四日市市は、中小都市空襲の第1回目の攻撃目標とされ、運命の日を迎えました。
米軍の中小都市空襲『作戦任務報告書』によると、この時の攻撃機の総数は89機、18日の午前1時28分から3時5分までの間に、上空から、焼夷弾を約3万個、合計567.3トンを投下。全市の35パーセントに当たる約3.18平方キロメートルの市街地が焼失しました。
市民約800人が犠牲になった四日市空襲から今年で75年を迎えます。毎年この時期に三重県四日市市は、「四日市空襲犠牲者慰霊献花式」を開いていますが、本年は中止となりました。
この機会に、今一度戦争の悲惨さ、平和と命の尊さについて学習しましょう。また、犠牲者を追悼するとともに平和を祈念しましょう。